MEMBER INTERVIEW
すべてがなくなった夜に、もう一度「きっかけ」を選んだ。
一戸 悠人
代表取締役
自己資金と、親から借りた300万円。投資家にはすべて断られ、500の自治体に電話をかけて、ようやく一つの廃校にたどり着いた。台風で全壊し、資金は底をつき、何度も終わりかけた。BUBの創業は、決してきれいな物語ではありません。それでも一戸悠人は、「きっかけが未来をつくる」というビジョンを掲げ続けてきました。なぜ彼は、人生を賭けてこの会社をつくったのか。そして、これからどこへ向かうのか。
PROFILE
1992年12月20日生まれ/北海道登別市出身。
北海道室蘭栄高校 理数科を経て、青山学院大学 経済学部へ。
新卒でリクルートキャリア(現・株式会社リクルート)に入社し、福岡でコンサルティング営業に従事した後、東京のイベントプロデュース部門で「リクナビLIVE」の企画・運営を担当。
2018年、株式会社BUBを創業し、泊まれるテーマパーク「BUB RESORT」を展開している。
原点は、フィリピン・クリオン島で見た「満ち足りた表情」
学生時代から、世界中を旅してきました。きっかけのひとつが、フィリピンのクリオン島です。
かつてハンセン病によって隔離された人々が暮らしていた島で、生活は決して豊かではなく、差別も偏見も日常にあった。
それなのに、そこにいた人々は驚くほど満ち足りた顔をしていたんです。
豊かさは、お金でも、肩書きでも、モノでもない。人と人とのつながりの中に、確かに存在していた。
あの表情を探して、インド、タンザニア、グアテマラ。いろんな国を旅しました。
そして気づいたんです。驚きや発見は、秘境の中だけにあるんじゃない。誰かの日常のすぐそばにも、豊かさは静かに息づいている。
その"きっかけ"を、みんなのそばにつくれないだろうか、と。
本当の豊かさは、人と人のあいだに生まれる。
300万円とウッドデッキ。何度も終わりかけた創業期
最初は、自己資金と親に借りた300万円だけ。
投資家を回っても、全部断られました。
それでも「面白いね、やろう」と言ってくれた佐藤さんという投資家に出会えた。
土地を少しでも安く借りたくて、関東・長野・山梨・静岡の自治体に500件電話して、ようやくたどり着いたのが千葉県の長生村でした。
草は腰の高さまで伸び、瓦礫が積まれた校庭。それでも、屋根のあるスペースが輝いて見えたんです。
朝5時から夜中の2時まで、草を刈り、瓦礫を運び、400円の水平器で地面の水平を測ってウッドデッキをつくりました。
GWのオープンには現金を使い果たして、労働力は自分と共同創業者の清原、そして北海道から応援に来てくれた母の3人だけ。
9月には過去最大級の台風で、すべてのテントが吹き飛びました。
「本気で誰かのためにつくる」と決めた
売上が想像以上に立った時期もありました。
でも、自分たちは疲弊していたし、「これは本当に誰かの人生を変えられているんだろうか」という問いがずっと消えなかった。
すべてがなくなったタイミングで、本気で誰かのためにサービスをつくると決めたんです。
形式的だったそれまでのビジョンを捨てて、「きっかけが未来をつくる」という言葉を掲げ直した。
そこから、ビジョンに共感した仲間が少しずつ集まってきてくれました。
経験ではなく、思いを大事にしたかった。
今いるメンバーは、まさに創業メンバーだと思っています。
これから。世界を、体験で埋め尽くす
BUBはまだ始まったばかりです。
オープン当初のGWでは、アクティビティはたった4つでした。
それが今では150個以上。
拠点も長生村から、八ヶ岳、つくば、そして都市型のBUB ACTIVITY CENTERへと広がっています。
これから目指すのは、2030年に40拠点、そしてIPO。
さらに、初の海外法人としてハワイの立ち上げも始まっています。
「世界を体験で埋め尽くす」
この使命に向かって、まだまだ挑戦は続きます。
決して楽で恵まれた環境ではない。
それでも、自分たちがつくったたくさんのきっかけが、誰かの未来をつくっていく。その手応えこそが、僕らが本気でやり続ける理由です。
これから入社する人へ
僕が大事にしているのは、「枠を飛び出し、素人であり続ける」という価値観です。
ビジネスの世界では、報酬を得た瞬間にプロと見なされる。
経験の長さや資格は、必ずしも重要じゃない。
新しい挑戦の前は誰だって素人ですが、誰よりも深く追求すれば、瞬く間にプロになり、時には既存のプロを超えることだってできる。
だからこそ、常に新しいことに挑む「素人であり続ける」気持ちを持っていてほしい。
BUBには、その挑戦を本気で応援する仲間がいます。
枠を飛び出し、素人であり続ける。